第2回 建築と雑学 | 昭和電工建材株式会社

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日本の建築法を振り返る 2

前回の話ですが、日本の歴史の中で最初の建築に関する御法度(法律)が、1313年も前に他の家を覗かないようにというプライバシー保護だったことは面白いですね。しかし、その後、建築に関する御法度が登場するのは、調べた範囲では江戸時代、そしてその御法度とは「防火」がキーワード。
「火事とけんかは江戸の華」とか「地震・雷・火事・親父」など当時世界的大都市の問題は火事だったのです。

 

東京には蛎殻町という町名があります。美味しい蛎を扱っていた問屋さんや料亭の街ならば蛎町とか牡蠣町だと思うのですが、殻が付いているので蛎殻に関わりのある名前だと理解できます。ただ、蛎殻は今も昔も廃棄物ですから廃棄収集場だったのでしょうか? しかし、蛎殻だけがゴミではないはずです。

 

図1 蛎殻町                  図2 江戸時代の御法度

蛎殻町 江戸時代の御法度

 

画2は江戸時代の御法度ですが、まず、延焼・防火を目的に被覆材料を定め、もっとも延焼を防ぐ方法として屋根の不燃化を説き、対策として藁葺き・茅葺き屋根に対しては土を塗り付けることを命じ、板葺き屋根は蠣殻・芝・土などで覆うように指示しています。日本建築の屋根というと茅と瓦で、瓦は平安時代の神社仏閣に使われているものの、庶民の家は江戸時代でも板などで瓦は高くて使えなかったのです。しかし、住宅が密集してくると延焼、特に屋根の延焼防止が重要になってきます。そこで、江戸幕府は蛎殻を屋根に乗せることで延焼を防ごうとしたのです。「八百屋お七」「振袖火事」など世界有数の大都市の江戸は何度も大火に襲われており、屋根の不燃化が重要だったのです。

 

図3 蛎殻葺き

蛎殻葺き

明治時代には刑法とか民法などの方の制定がありましたが、建築に関する法律はなく、東京:神奈川・大阪・兵庫などで地方規制があったくらいでした。例えば東京府では明治12年(1879年)12月26日、日本橋区箔屋町から出た火の手は、屋根の瓦が飛ぶほどの強い北西風にあおられて、現在の日本橋、京橋、八丁堀、新富、入船、湊、新川、佃の一部を焼く大火となり、被害は65町、全焼1万613戸、焼損面積24万4,972㎡に起きた大火となり、これを教訓に府命令では、防火路線を選定し、路線の両側に建築する建築物は、煉瓦造(れんがづくり)・石造・土蔵造にすることと現在法の道路路線防火制度のような条令が生まれています。

このように、江戸時代から明治、そして、大正・昭和と続く、建築法の基本の基本になる考え方は延焼防止に関する防火が最重要だったのです。具体的に言えば建築基準法第22条の旧条文にあった「建築物の屋根は、不燃材料で造り、又はふかなければならない」原型だと思うのです。日本の建築は木造が主流です。木造=燃えるものですから、都市など建築が密集してくると大火が問題になりそれを防ぐ意味で重要なことは延焼防止になるのです。

 

次回は建築基準法の原型となった大正時代の「市街地建築物法」から終戦後に生まれた「建築基準法」に関して話を進めていきます。

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